四間四方の巨大な上重、バランス的にもしっくりこない福山城伏見櫓。望楼を載せれば完璧!
ちなみに、この櫓には天守にしか使われない寸法の柱が何本かあり、大きく傷ついた材が使われているとのこと。
地震で望楼が転げ落ちた天守は…?キャー(σ≧∀≦)σ
#信じるか信じないかはあなた次第pic.twitter.com/c2H1X8kERT— (@joukakumokei) 15:45 – 2018年11月13日
指月の天守は、木幡山に再利用(移築)されたのではないでしょうか?
— (@Toshirou_m) 16:50 – 2018年11月13日
おっしゃる通りだと思います。
そして木幡伏見城は養源院などが示すごとく全部は焼けていないようです。— (@joukakumokei) 16:56 – 2018年11月13日
ただ、梁行が四間というのが疑問に思えるんですよね。
縮小されたってことはないですかね— (@Toshirou_m) 17:06 – 2018年11月13日
当然損傷材なら短くなりますよね。
もちろんそのままとは思っていません。
ただ、天守級の柱があり、傷だらけの材を繋いだりしているということなので、その材木の出どころをどう評価するかでしょうね。— (@joukakumokei) 17:16 – 2018年11月13日
梁などに仕口が残っていないか…解体修理とかされていないのでしょうかね?
— (@TatsuokaMiyoshi) 17:54 – 2018年11月13日
昭和29年に解体修理されていたようで、その時の話題は梁に伏見城にあったという陰刻があったというもののようですね。その時の報告書に何か書いてないでしょうかね…
— (@TatsuokaMiyoshi) 17:56 – 2018年11月13日
なんと!報告書が作られていないそうです!「松ノ丸東やぐら」の「ら」の部分に材木が載っていますので、福山城に移築された段階でも改変があったかもしれませんね。
— (@joukakumokei) 0:19 – 2018年11月14日
それは意外でした。部材については国宝指定を受けたい動きがあるようですので、その時の調査に期待でしょうか。
— (@TatsuokaMiyoshi) 2:32 – 2018年11月14日
指月城?
— (@ESBqahIdzOOCcA4) 0:21 – 2018年11月14日
伏見城内で使われていそうな地震倒壊材といえば…そうなります。木幡山の伏見城がどれだけの範囲燃えたのか、ということでしょうね。書状では全部焼いたとあるようですが。
— (@joukakumokei) 0:42 – 2018年11月14日
伏見櫓は本当に伏見城から移築したのでしょうか?
福山城を調査されている方のサイトを読んだ時に、情報が間違っているとあったので— (@794uguisu0) 2:28 – 2018年11月14日
「松ノ丸東やくら」と書込みのある部材があるので、今のところ移築を疑う説は無かったと思います。
— (@joukakumokei) 3:31 – 2018年11月14日
おー、なかなか興味深い推理ですね。そう言えば、山城国で文禄年間に大地震があり、何処かの城の天守閣の上二層が崩壊したとの噂話もありましたね(笑)。
— (@rekishi53) 2:19 – 2018年11月14日
そうなんです。さらにその城は洛中のあの邸宅からかなりの建物を持ってきているようなのです。
— (@joukakumokei) 3:30 – 2018年11月14日
木材の出所次第では備後福山城の本丸伏見櫓は国宝指定の可能性があります。
— (@cheyenne1660) 18:19 – 2018年11月13日
これからの調査に期待します!
— (@joukakumokei) 0:16 – 2018年11月14日
伊賀神戸城天守、美濃岐阜城天守にも通じるものがあります。
— (@cheyenne1660) 18:21 – 2018年11月13日
肝心なことを見落としていました。備後福山城天守もそうです。
— (@cheyenne1660) 19:46 – 2018年11月13日
三間の望楼を描き足しただけなのですが、頭の中で思っていたよりも古風な建物になりちょっと驚きました。
— (@joukakumokei) 0:38 – 2018年11月14日
おおお!
— (@winker0013) 18:50 – 2018年11月13日